台場とは、幕末、異国船が日本沿岸に現れたとき幕府が各地の沿岸部に造らせた大砲台場のことで、和歌山から下津沿岸には三十数か所ありました。

雑賀崎台場跡は、その内の一つで、紀州藩が築いた台場で、このように遺構が良く残っているのはとても珍しいということです。


紀州藩は、安政元年(1854)加太から大崎までの近海を7地区に分けて、それぞれの持ち場を7人の家臣に命じ、持ち場の要所に台場を築かせました。

「和歌山県史跡名勝天然記念物調査報告」第10輯にⅠ~Ⅴを加筆 

Ⅲが ”カゴバ台場遺跡”   

   上図は、昭和7年

  「和歌山県史跡名勝天然記念物

   調査会報告第11輯」に掲載の

   カゴバ台場図


台場跡の北側に“カゴバ”と呼ばれている磯があります。昔その磯では、大きなカゴに魚を入れ、海に沈め生け簀にしていたそうです。そこから“カゴバ台場”と呼ばれていました。

2010年、和歌山県によって史跡指定され

名称が「雑賀崎台場」に変わりました。        



和歌山県史跡「雑賀崎台場」とその関連遺構

(V字遺構は埋め戻され、今は見ることができません)

 


V字遺構の北側先端部分


トンガの鼻 略図

番号は遺構のある場所です



いろんな角度から見た「雑賀崎台場」跡

   ①南側から        ①②東から     ①西側の土塁   ①北側の石垣と土塁

 ①台場東側石垣   ①台場東側石垣   ②方形壇        ②方形壇    ⑥台場の縁辺と思われる 

   (北から写す)  (南から写す)  (南から写す)    (北東から写す)    (東から写す)  

 


③“算木積石垣”と私たちが呼んでいる遺構

反時計回りに写しました。

基礎部分の石垣、その上には、西側に開いたコ型に石を積み海側を土塁にしています。

上の石垣土塁の南北の長さは20mです。

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